「わけ」#12539;「はず」#12539;「べき」の区别-性差#12539;年齢差を中心にわけ#12539;はず#12539;べき的区别——以性别差、年龄差为考察中心文献综述
2020-04-13 13:17:54
まず、「べきだ」、「はずだ」、「わけだ」三語の意味については、以下のように調べてきた。
羽丹(1991)は、「話者の主観において当該事態の実現を妥当なこととして要請するという判断を表す」とされている。赵宏(2007)は「べきだは一般的な事に対する話し手の意見、主張、考え、認識などを表すものである。また、話し手は法律、規定、社会道徳、習慣などから考えて、そうすることが責任、義務,当然なことだと思っていることを表す」とされている。
张威(2009)は「はずだは話し手が確実な根拠に基づいて、それに応じる予知、予測、予定などの自然の結果を推定するものである(p.238)」と述べている。次の表のように、
日本語 |
中国語 |
例文 |
①当然そうなるべき道理であることを示す。また、その確信をもっていることを示す。 |
①自然会 |
①君はそれを知っているはずだ。 |
②その予定であることを示す。 |
②照理说应该,依惯例应该 |
②今日届くはずになっている。 |
③事柄についての確信、確認の意を表す。 |
③应该会,应该就 |
③それで電気がつくはずです。 |
goo辞典により
一般的に言えば、「はずだ#65379;の結果は事実に近く、それが生じないとおかしいと思われる。要するに、それは自然の結果、自然の道理である。
また、张威(2009)は「わけだは話し手が前項の確かな情報を基にして、それに応じる論理的な、当然の結論、結果を推論するのである(p,240)」と述べている。つまり、#65378;わけだ#65379;は未知に対する推論でなく、確実な事実を並べて、疑いの余地のない当然の結論、結果を推論するのであり、ただ話し手の個人的な認識、判断、結論を表すのであると言える。于艳春(2006)は「わけだはある程度話し手の主観的な認識、判断を帯びている」と述べている。
次に、#65378;~べきだ#65379;、「~はずだ」、「~わけだ」の使い分けに対する分析を見よう。
「べきだ」は話し手の意見、主張、考えを表すに対して、#65378;はずだ#65379;は確かな事実による判断、予知、予測の当然な結果を推定するのである。(刘晓芳2008)
例1:人間は約束を守るべきだ。(○)
人間は約束を守るはずだ。(?)/人应该守约。
例2:太郎は中学校を卒業したものだから、この字は読めるべきだ。(?)
太郎は中学校を卒業したものだから、この字は読めるはずだ。(○)
于艳春(2006)は実際の結果が推測の結果と一致しない場合、#65378;はずだ#65379;は使えるが、#65378;わけだ#65379;は使えないと分析している。また、#65378;はずだ#65379;は予知、予測、予定などの自然の結果を推定するに対して、「わけだ」は前項の確かな情報を基にして、当然の結論、結果を推論するのである。すなわち、#65378;はずだ#65379;は未知のことに使われる、一方、#65378;わけだ#65379;は既知のことに使われると考えられる。さらに、#65378;推論#65379;の場合では、#65378;はずだ#65379;は「状況判断」なので、自分自身の状況でなく、第三者の状況あるいは、第三者と見なした状況である。一方、#65378;わけだ#65379;は「断言」なので、自分自身の状況を判断することができる。(泉原省二2010)
それから、「べきだ」、「はずだ」、「わけだ」は中国語に訳すれば、いずれも「应该#8230;」になる場合がある。劉月華他(1983)では、”应该”の意味#65381;用法について、「①実際上或いは情理上での必要性を表す。已然の状況(実際にもうそのようになっている状況)についても、未然の状況についても用いることができる」(以下、”应该1”と称する)、「②予測や推測を表す」(以下、”应该2”と称する)というように、二つのタイプに分類されている。程焱(2009)「べきだ」と”应该1”とは一定の対応をもっている。当該事態の実現状態が未実現である場合、”应该1”は「べきだ」に対応しているが当該事態の実現状態が既実現である場合、”应该1”は「べきだ」に対応しないと分析している。马文静(2010)によると、「はずだ」と「わけだ」は”应该2”に対応している。しかし、#65378;わけだ#65379;は既知のことを説明しているが、#65378;はずだ#65379;は未知のことに使われている。
まず、「べきだ」、「はずだ」、「わけだ」三語の意味については、以下のように調べてきた。
羽丹(1991)は、「話者の主観において当該事態の実現を妥当なこととして要請するという判断を表す」とされている。赵宏(2007)は「べきだは一般的な事に対する話し手の意見、主張、考え、認識などを表すものである。また、話し手は法律、規定、社会道徳、習慣などから考えて、そうすることが責任、義務,当然なことだと思っていることを表す」とされている。
张威(2009)は「はずだは話し手が確実な根拠に基づいて、それに応じる予知、予測、予定などの自然の結果を推定するものである(p.238)」と述べている。次の表のように、
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